須坂新聞WEBサイト 「原田要平和への祈り」7月上映~映画制作終盤へ
須坂新聞
今日は何の日
12月12日(火)
●漢字の日
日本漢字能力検定協会(漢検)が1995(平成7)年に制定。「いい(1)じ(2)いち(1)じ(2)」(いい字1字)の語呂合わせ。毎年、その年の世相を象徴する「今年を表現する漢字」を全国から募集し、この日に京都の清水寺で発表されます。
求人情報
須高管内の求人情報
長野労働局や須坂市産業連携開発課の情報はこちらから
フォトサービス

須坂新聞モバイルページ
須坂新聞
ニュースヘッドライン
「原田要平和への祈り」7月上映~映画制作終盤へ(2017.06.24)

 旧日本海軍のゼロ戦操縦士原田要さんが亡くなって1年。享年99歳。

 生前、原田さんを何度も取材したフリーディレクター宮尾哲雄さん(67、須坂市高畑町)が監督・構成・編集するドキュメンタリー映画「原田要平和への祈り~元ゼロ戦パイロットの100年」(約85分)が7月29日~8月12日、長野相生座・ロキシー(権堂)で上映される。宮尾監督は20日の取材に「ナレーション(女優檀ふみさん)を収録する最終段階」と話す。
 原田さんは大正5年長野市浅川生まれ。昭和4年旧制長野中学に入学。17歳の同8年、海軍に志願。ゼロ戦操縦士としてハワイ真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などに参加し、敵機を次々に撃墜した。ガダルカナル島攻撃でグラマン機と激しい空中戦の末重傷を負い、生死をさまよい、奇跡の生還。内地で教官を務め霞ケ浦や千歳航空隊で操縦士を養成。北海道で終戦を迎えた。
 戦後、幼稚園を経営し子供たちに命の大切さを教え、悲惨な戦争体験を各地で語った。
 平成24年8月の須坂市民学園公開講演会で96歳の原田さんは「いつも最後はおっかさんの顔が現れ、奇跡の生還へ導かれた。多くの犠牲の上になる平和をみんなで大事にし、一生懸命国を守らなければならない」と聴衆に語りかけた。
 初の映画に挑む宮尾監督は、須坂高校―同志社大学卒。昭和47年に開局4年目のNBS長野放送に入社。報道部記者や制作部ディレクターなどの業務の傍ら、ドキュメンタリー番組を制作した。
 中国帰国者問題や諏訪湖の改善などの番組で日本民間放送連盟賞優秀賞などに輝いた。
 平成19年に報道局長となり、同22年3月退職。同26年4月まで4年間、制作局嘱託のディレクターとして番組制作を続けた。
 フリーディレクターとなってからも原田さんらを取材した戦後70年企画「70年後の真実~ふたりの戦争体験」を制作し、同27年にNBSで放映された。
 同番組制作のきっかけは、98歳の原田さんがシルキーホールで講演した平成26年9月の「平和を守る市民のつどい」。出席した宮尾監督は「じかに話を聞いて感銘を受けた。2時間立ちっ放しで戦争体験を何とか伝えようとする熱意に圧倒された。原田さんの誠実な人柄や体験の重みを伝えたいと思った」。
 宮尾監督はその後、原田さんを訪ね、28年5月3日に亡くなるまで取材を重ねた。
 「テレビ放映の後、ドキュメンタリー映画を制作したいと提案した。原田さんから全面的に協力するとの意思が示されたので遺志を引き継ぎ、戦争体験を若い人に伝えるため、長野放送で育ててもらい身につけた映像技術を生かして制作している」(監督)。
 企画・製作は、戦争体験を継承する会(林謙一郎会長、会員約10人)。林会長(長野市)は原田さんの旧制中学の後輩で幼稚園の園医、原田さんの主治医として最期をみとった。会員は原田さんと親交のあった人や宮尾監督の仕事仲間ら映画化に賛同する有志。
 完成へ最終盤の宮尾監督は「戦争体験をきっちり伝えるため、原田さんの生きた100年に焦点を絞り、じっくり時代を描き、大型スクリーンで見ていただけるものにしたい。当時の写真や記録資料を豊富に使い、激動の時代背景を交えて描きたい」と力を込めた。
 後援は県教育委員会・須坂市。
 上映は1日2回。一般限定前売り券1,300円(当日券1,800円)は、事務局のギャラリープラスワン(須坂市横町、☎026-214-7231)に。
 当日券(映画館で販売)はシニア(60歳以上)と高校・大学生1,000円、小人(3歳~中学生)と障害者手帳所持者800円。
 上映期間中は戦争資料を展示。戦時紙芝居も実演(29・30日、5・6日)。映画製作協賛協力は封切り前日まで受け付ける。問い合わせは事務局へ。

 

TOPへもどる