須坂新聞WEBサイト 村山橋のよすが休憩施設に展示~親柱や鉄橋が語る83年の歴史後世に
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1868(明治元)年、戊辰戦争で会津藩の白虎隊が城下の飯盛山で自刃する。白虎隊とは官軍に対抗した会津藩がもつ、16歳から17歳までの少年で編成されていた軍。白虎隊の二番士中隊員が、城下の町に火の手が上がったのを、落城して城から火が出たものと勘違いし、16人の隊員全員が自刀し果ててしまう。
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村山橋のよすが休憩施設に展示~親柱や鉄橋が語る83年の歴史後世に(2011.12.24)

 村山橋の須坂側に17日、道路休憩施設(村山橋メモリアルパーク)が完成した。

 県が整備を進め、地元村山町区(古平好一区長)が完成記念式典を行った。旧親柱は1基が補修され、もう1基は補修後に建設当時の姿に復元された。保存費用を寄付した保坂幸一さん(78、八幡町)や県・須坂市・地元関係者が除幕した。村山神楽保存会が指導する子供神楽で黒岩拓哉君(小6)と野崎雄斗君(同)が悪魔払いの獅子舞を奉納した。
 主催者あいさつで古平区長は「旧村山橋は身近な存在で思い入れの強い橋。役割は終わったが、市民の熱意によって親柱が保存され、トラスが建立され、旧橋は心の中で永遠に生き続ける。すべての関係者に感謝を申し上げたい」と述べた。
 式典後、寄付者で旧橋の渡り納め式(平成21年11月14日)実行委員長を務めた保坂さんは取材に「平成13年に市長への手紙で親柱を残してほしいと要望した。その後、寄付を申し出て保存が具体化された。こんな立派な施設になるとは夢にも思わなかった。旧橋はこの地域の激動の83年を支えた。親柱、鉄橋、レールと3点セットで第二の人生をこの地で迎え、静かに歴史を語り続ける。写真付きモニュメントも感激している」と述べた。
 地元村山町区相談役で出席した黒岩正勝さんは取材に「子供のころから見ている橋がよみがえったような気がする。大勢の人に見てほしい。それぞれの思いの中で懐かしんでほしい」と応えた。
 親柱2基のうち、完全復元された1基は保坂さんの市寄付金300万円で補修された。先の大戦で供出された橋名板「村山橋」の文字は保坂さんの書でよみがえった。

 

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