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須坂市有形文化財に須坂吉向焼36件を追加指定(2012.04.28)

 須坂市教育委員会は先ごろ、田中本家博物館(穀町、田中宏和館長)や須坂市立博物館、個人12人が所蔵する吉向焼36件を新たに市指定有形文化財に指定した。

 平成元年に指定された田中本家博物館所蔵の7件に追加指定した。他地域で焼かれた吉向焼と区分するため名称を「須坂吉向焼」に変更した。
 内訳は茶わん1、茶入1、風炉・涼炉2、香合3、香炉3、花器1、食籠(じきろう)4、酒器3、煎茶わん2、水注(すいちゅう、みずつぎ、みずさし)他2、皿・鉢・向付(むこうづけ)8、その他4、文献2の計36件。
 江戸時代屈指のお庭焼の名工、吉向治兵衛(きっこう・じへえ、1784~1861)は、伊予大洲藩砥部焼の陶工、戸田源兵衛の子に生まれた。10代で京に上り、砥部焼に加え、京焼窯業の先端技術を身につけた。「華南三彩」(交趾=こうち=焼)釉法(ゆほう)を獲得し、「写し」の名手など独自の作風を形成した。妻の出身地現大阪十三で開窯し、十三軒松月と称した。
 その後、出身地の大洲藩や岩国藩に招かれてお庭焼を指導した。
 40歳のころの文政9(1826)年、11代将軍徳川家斉に亀の置物や鶴の食籠などを献上し、「吉向」の名を与えられた。
 55歳ごろ将軍家茶道指南、片桐石見守貞信(茶道石州流家元)に仕え、江戸に窯を築いた。還暦を迎え、得度して「行阿(ぎょうあ)」と号した。
 須坂藩11代藩主堀直格(なおただ)に招かれ、養子一朗や弟子11人と須坂に来訪。弘化2(1845)年から嘉永6(1853)年まで須坂吉向焼の作陶に励んだ。
 招請は藩財政建て直しを図る殖産興業政策の一環とされるが、当時学者としても著名な藩主が文化・芸術を須坂に根付かせようとする意図も感じられる。
 青木広安市文化財審議委員は「文化を理解し、殖産振興を目指す小藩藩主の招きに応じた来訪だが、文化性の高い証しでもあり、市民が自負していい事柄だ。お庭焼の性格上、芸術性が高い焼き物で今後優れたものを県指定に薦めたい。今回所蔵者には快く協力していただいた」と話す。
 調査は平成23年度に2度、愛知県陶磁資料館から仲野泰裕副館長を招いて行った。既刊図録や出版物に基づいて再調査し、所蔵者の代替わりなどで散逸も心配されることから、須坂吉向焼の技術・意匠を網羅するため追加指定となった。事務局の生涯学習スポーツ課は「いいものがあればさらに追加指定していきたい」とする。
 写真は善光寺土産として大量販売を目的に作られたとされる「白地緑彩善光寺紋香炉」(須坂市立博物館蔵。現在同館展示中)。
 なお、平成元年の指定は、染付宝相華文花瓶▽色絵金彩菊花大皿▽緑釉金彩亀置物▽黒楽茶わん▽金巻糸茶入▽銀巻糸茶入▽二彩鳳凰文風炉―の7件。

 

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