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「須坂のとのさま物語4」紙芝居に(2014.07.19)

 蔵の町すざか昔を語る会(佐藤政世代表)は、10作目となる紙芝居「須坂のとのさま物語その4」を作った。

 須坂13代藩主堀直虎公(1836~68)が25歳ごろ(文久元年・1861年)に写本し、「じゃく譜」と名付け、今日に伝わる桜図譜の話。原作は『須坂のとのさま物語』の著者で元須坂小校長の清水孟(はじめ)さん(今年4月他界)。脚本は小林玲子さん(長野郷土史研究会副会長)と同会。幼少期、藩政改革、幕末期に続く。
 8枚の絵は佐藤代表の恩師荒井泰三(たいぞう)さん(大町市)の作品。協力は須坂市立博物館。
 直虎公は天保7年に江戸の堀家下屋敷で生まれた。近くには亀戸天神があり、母天心院に連れられて参拝し、しっかり学問したいと心に誓う。
 父直格(なおただ)公(11代藩主)は「須坂の殿様は万巻の書を持つ」と評判の勉強家。直虎公も尊敬の念を抱き、「父のような立派な藩主になりたい」と思う。
 期待に応えるべく学問に励み、書は市河米庵(べいあん)に、漢学は亀田鶯谷(おうこく)に、砲術は赤松小三郎に、洋学は杉田玄端に学び、青年時代は遅寝早起きで過ごしたとされる。
 じゃく譜は「花譜」(近江・仁正寺=にしょうじ=藩主市橋長昭=ながあき=が江戸市中の桜花を集めて描かせた桜図譜)を直虎公が細かく、美しく書き写したとされる。
 じゃく譜のじゃくは神の木の意。序文に直虎公は、桜の花の真性(本来持つ性質)に触れる人がいないが、花の真性を求めて正確に写すことに力を尽くしたと記している。
 180余種・250余図を描く。江戸期に成立した桜図譜の中で最も情報量が多いとされ、じゃく譜を通じ、150年前の江戸の名木が楽しめる。直虎公や初代藩主を祭る奥田神社の境内を、桜の名所にしようと植樹活動が始まっている。
 佐藤代表は取材に「桜は寒い季節を乗り越えて咲き、いとおしい。じゃく譜を通じて桜の見方が変わった。文化の薫り高い須坂と須坂の殿様を次の世代に伝えるお手伝いができれば」と話す。
 今月27日には市立博物館の「懐かしの街頭紙芝居イン臥竜公園親水広場」(臥竜公園フェスティバル)で午前10時半からと午後1時から初披露する。口演は塩崎おとぎ紙芝居博物館とともに。

 

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