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【教育】全国高校生歴史フォーラムで宮崎愛斗さん(須坂高3年)が優秀賞~「長野電鉄絵地図」の論文で(2018.12.15)

 須坂高3年で須坂市立博物館ボランティア会員の宮崎愛斗(まなと)さん(須坂市屋部町)はこのほど、奈良県で開かれた「第12回全国高校生歴史フォーラム」(主催=奈良大学、奈良県)で優秀賞を受賞した。

 全国の高校生を対象に論文を募集、応募73点の中から優秀賞5点を選んだ。宮崎さんの研究タイトルは「長野電鉄絵地図における幻の社名から探る小林一三・神津藤平の先見的鉄道経営構想」。他の4作品は部活動で研究したもので、宮崎さんのような個人応募・受賞は珍しいという。
 宮崎さんは論文の冒頭で「幼い頃に須坂市立博物館の企画展示に訪れたことが鉄道と郷土史に関心をもったきっかけ。高校2年から郷土史の知識を深めるために市立博物館ボランティア会員になり、博物館に収蔵されていた長野電鉄絵地図に興味を持ち、研究を始めた」と紹介した。
 続いて、地元須坂に鉄道が開通した経緯について「須坂の製糸家らの熱い要望も受け、大正11年に屋代と須坂を結ぶ河東鉄道、15年に長野と須坂を結ぶ長野電気鉄道が敷設」。
 研究の中の一番の謎について「大正15年に両鉄道会社が合併して長野電鉄が創設されたが、絵地図に現存しない〝長野鐡道〟の社名が記載されていることに疑問を持った。調べる中で、当時は蒸気鉄道が主流で電化鉄道は先進的だった。そこでスマートで最新技術のイメージがある〝長野電鉄〟と命名、現在に至ったと思われる。古書店で博物館収蔵品以外の絵地図を発見して長野鐡道の名称はわずか3カ月だったことがわかった」と話す。
 先駆者の小林一三・神津藤平氏の先見的鉄道経営構想については「長野電鉄を創業した神津藤平と阪急電鉄を創業した小林一三は大学時代からの盟友で、互いに刺激し合ってきた。神津は長野電鉄終着駅の湯田中に渋・湯田中温泉などを開発、後方の山を志賀高原と名付け、鉄道と観光を結び付けた。絵地図は鉄道と観光をアピールし、活性化させるために作ったと思われる。小林も阪急電鉄終着駅の宝塚に歌劇団を創設し、鉄道と観光を結び付けた」とした。
 最後に「現在は車社会となっているが、神津が大正時代にイメージした観光地と鉄道の一体経営は今に生きている。常に乗客目線で物事を考えた神津のおもてなし精神を学んでいきたい」と結んだ。
 宮崎さんは「絵地図を見ると、かつて生糸で繁栄した須坂の様子や豊かな自然が描かれていて魅力にあふれている。絵地図はこれからの須坂の活性化に役立つかもしれない。受賞はとてもうれしく、大きな反響があった」と話している。

 

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