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大量の須恵器片小河原町にで出土~鎌倉御家人小河原氏と接点は?(2019.02.02)

 須坂市小河原町の市道北組沖2号線拡幅改良に伴う市教委の発掘調査で先ごろ、須恵器(すえき)の破片が大量に出土した。

 大かめやつぼか。700点~1,000点。調査した高橋千穂学芸員は「須恵器がこれほど多いのは須坂の発掘では見たことがない。破片の色からみて数種類に分けられそうだ。復元の可能性が高い。また、灰釉(かいゆう)陶器の破片が出ている。平安末から中世の遺跡の可能性が高い」と話す。
 須恵器は古墳時代中期以後に製作された。高温の窯で焼成された硬質灰色の土器。灰釉陶器は上薬にケヤキや松などの木質灰やわら灰を用いた陶器。
 出土は地表面から60cm~80cm下の第3層とみられる層から。破片の上にかぶった土のすぐ上には、直径10cm強の丸い石が30cm間隔で正方形に置かれていたという。さらに周辺からは、加工されたとみられる四角柱の石(10cm四方、高さ15cm~20cm)が5点出土した。
 その上の第2層の南西隣からは灰釉陶器のほぼ完形の薄手の茶わんがつぶれた状態で出土した。
 大量の須恵器が出た第3層について、高橋学芸員は「須恵器を人が意図的に廃棄した様子がうかがえる。この層の2カ所で焼土を確認し、炭を大量に伴う穴もすぐ脇に検出している。須恵器の廃棄と火との関係は今後の課題。吾妻鏡(あづまかがみ)に登場する小河原氏に結びつくものかどうかを含めて、この時代がいつなのか特定したい」と話す。
 吾妻鏡は鎌倉幕府の出来事をつづった歴史書。元暦(げんりゃく)元年(1184)7月に小河原雲藤三郎(井上太郎光盛の侍)が源頼朝の御家人になったとの記述がある。
 また、鎌倉時代の仁治(にんじ)3年(1242)正月に、小河原左衛門尉(じょう)藤原真国(まさくに)という人物が戸隠山に獅子と狛犬各一体を奉納している(『小河原郷誌』48ページ)。
 拡張は幅4mから8mへ。出土は1区と呼ばれる範囲で幅1.5m、全長約20m区間。
 前年度(平成29年12月~30年1月)は、本年度1区の北側の幅1m~2m、全長40m区間を調査した。
 一部で焼土を伴う石積み遺構1基が出ている。中世を示す石臼片や内耳土器片が一緒に出ていることから、小河原氏の時代との接点が期待される。
 「本年度の調査(30年11月28日~31年1月16日。1区に続く2区の調査)でも石臼片が出ている。鎌倉以降の小河原氏の時代にそばや豆をひくための生活道具として使ったものか」(学芸員)。

 

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