公会堂に集まった区民は約70人。幼児や保護者から高齢者まで車座になって左へ2周回した。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、大玉が回ってきた時は頭を下げた。山際会長は「子供たちのにぎやかな声が聞こえ、世代を超えて一緒にできたことがよかった」と取材に語った。
幸高町での大数珠回しは、江戸時代まで大日堂(明治初年に廃堂)に村人が集まって定期的に行っていたものとみられる。大数珠は、大日如来数体(石造、但唱作といわれる)などと廃堂後、近くの秀泉寺に預けられた。
7年ほど前、同寺の改修工事に伴い、1cm~2cmの玉がバラバラになった状態で本堂から発見され、玉をひもに通し、磨いて復元を図った。最後に行われた大数珠回しから150年がたち、新時代令和元年を記念して伝統の行事を復活させた。
輪の周囲は15m。但唱ゆかりの光明寺(天野義光住職、須坂市野辺町)から住職を招いて大数珠回しを行った。かつて秀泉寺の大般若会(だいはんにゃえ、毎年4月)に「知恵の団子」をもらった(山際会長)ことから、紅白の団子も供えて参加者に配った。
山際会長は「年号が改まった機会に区民のコミュニケーションの場として設けた。若いお父さん、お母さんは子の幸せを、子供は夢や願いを、区民は亡くなった人をしのんだのか。地域の心のよりどころとして継続の声があり、次回の開催を検討したい」と話す。