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越家住宅の増改築前を推定~梅干野信大准教授が調査語る(2019.08.10)

 市蔵の町並みキャンパス事業で旧越家住宅(春木町、製糸家越寿三郎・泰蔵邸、国の登録有形文化財)を調査した梅干野成央(ほやのしげお)信大工学部建築学科准教授は先ごろ、同住宅を会場に開いた「ふれあい講座」(市・旧越家ふれあいクラブ主催)で同住宅や須坂の町家の特徴を講演した。

 同住宅は越寿三郎翁が明治45年ごろ、佐藤家の屋敷地を譲り受け改築したと伝わるが、明治22年の「建物台帳」(市文書館所蔵)には小田切豊太郎氏所有とあり「経緯の詳細は不明」とした。江戸時代の町内絵図から武家の佐藤家の所有と確認できるという。建物は明治前期の建設で、越翁が購入後に増改築したとみられる痕跡が調査から分かったとした。
 店舗兼母屋は塗り屋造り。表に妻を向けた二階建ての商い部分と平屋の居住部分を接続させている。店(現勝手部分)の奥に玄関と寝間、その奥に中の間、座敷、奥座敷を配置する。奥座敷の座敷飾りの意匠は秀逸で、往時の華やかさを伝えている。座敷、奥座敷は越翁が譲り受けた明治45年ごろに整えたと考えられるとした。
 玄関横の洋間は、中の間に続く式台玄関を改装した。佐藤家時代はお勝手とみられ、明治45年ごろの改築と考えられるとした。
 大正8年に米国絹業使節団をもてなした。
 裏の二つの土蔵は南側が佐藤家時代の明治前期の建設。北は大正10年の祈祷(きとう)札が残り、そのころの建設ではとした。
 江戸中期の家並みを描いた寛政4(1792)年と屋敷割りを描いた文政10(1827)年の二つの絵図の照合から、商人・職人・武家・農人と職種ごとにゾーニングがされ、職と建物の種類(瓦ぶき・茅ぶき・板ぶき、平入り・妻入り)の住み分けができていたと読み取れることを紹介した。
 須坂の町並みは、素朴な江戸時代の塗り屋造り、土蔵造りの建物から華やかになっていく明治以降がうまく混在し、進化の過程が見事に残っているのが特徴―と解説した。

 

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